保坂展人 東京都世田谷区長 ジャーナリスト
あれは、17〜18年前のことでした。
ある言葉をめぐって、夜遅くまで、平行線の議論をしていたことを思い出します。
彼女はシングルマザーで子育ての最中、お子さんには障がいがありました。会話を重ねていくと 「自己責任なんです。私は社会に
救済は求めません」「ここで頑張るかどうか、すべては自分の責任です」と繰り返しました。
彼女は何度も「自己責任」を強調しました。
「ひとりで生きられないから、社会保障があるんです。自力で頑張ることも大事ですが、社会的支援を受ける必要がある時もあるんです。
何もかも『自己責任』にしてしまえば、政治や行政は何のためにあるんですか」と私は問いかけました。
「そう考える人はその人の自由。私は、社会に期待しません。すべては、自己責任だと思います」と彼女は絶対に譲りませんでした。
エンドレステープのように、「自己責任」を語り続ける彼女に対して、私は「社会的連帯」や「相互扶助」を説きましたが、かたくなに
受け入れてもらえませんでした。
「自己責任……か。どうして、この4文字に収斂してしまうんだろう」
私は、固い岩盤のような彼女の価値観にはねかえされ、角度を変えながら対話を試みました。
「痛みをともなう構造改革」を呼号する小泉純一郎首相が高い支持率を誇っていた頃の話です。現在のように「自己責任」という言葉が
氾濫する前で、私はこの4文字をどうしても飲み込めずに異物感を覚え、妙に耳に残り続けたことを記憶しています。
そして、あの時の彼女のような考え方をする人たちは、増え続けました。
当時は、国会で小泉首相と「日本社会に『格差と貧困』があるのかどうか」と議論していた時代でした。今や、日本社会に「貧困と格差」が
拡大していったことは、誰もが認めるようになりました。
「この貧困、自己責任だもの 格差認め自民支える若者たち」
https://www.asahi.com/articles/ASM713DB4M71UTIL00C.h... この記事には、「自己責任論を肯定するかどうか」という調査結果が紹介されています。
(続く)
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