年金開始75歳法案、14日審議入りへ 「緊急事態」も先送りせず


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001 2020/04/12(日) 23:13:54 ID:.ZQDRsfwLY
 年金を受け取り始める年齢を75歳まで繰り下げ可能にするための年金改革関連法案が、14日の衆院本会議で審議入りすることになった。
所管する厚生労働省は新型コロナウイルスの対応に追われており、省内には法案の審議を先送りすることで、国会対応に割く人員を
新型コロナ対策に振り向けるべきだとの意見もあったが、当初の想定通り4月の審議入りが決まった。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14437964.htm...

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※省略されてます すべて表示...
037 2020/04/17(金) 04:05:06 ID:Q.uDU1kvVI
>>36
>人の多くは

と人間を画一化して
人それぞれの生き方・考え方の多様性を『潰す』のが日本共産党の方針なのか?
例によって例の如く、共産党という政党は人間を人間として見ようとしないんだな


人生の多様性の一例

〈スキーヤー三浦雄一郎の父・敬三〉
70歳…ヒマラヤを滑降
77歳…キリマンジャロを滑降
88歳…アルプス・オートルートの完全縦走
99歳…モンブラン山系のヴァレブランシュ氷河からのスキー滑降
100歳…アメリカのスノーバードで、親子孫曾孫の4世代での滑降
101歳…没


100歳までスキー三昧だった〈スキーヤー三浦雄一郎の父・敬三〉 氏を例に
受給開始年齢ごとの給付額をシミュレーション

【X=101歳】

支給開始年齢:60歳
(X-60)*0.7=28.7年分相当を受給

支給開始年齢:65歳
(X-65)*1.0=36年分を受給

支給開始年齢:75歳
(X-75)*1.6=41.6年分相当を受給

●60歳の受給開始では101歳までに28.7年分相当の年金しか貰えない
●75歳の受給開始では101歳までに41.6年分相当の年金を貰える


勝負あった。

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038 2020/04/17(金) 08:21:30 ID:bQQIkguxD6
101歳まで生きてようやくトントンになるのか…。
101歳までいきれる人は0.9%だけどね。
75歳の人の3分の1が要介護や要支援で、待ちに待って年金を増やしても、自分の好きなように使えないしね。
80歳になれば、大金を使おうとするだけで、保証人をつけろといわれる。

年金支給を待つことが、実際には人生にとってムダでしかないということがおわかりいただけると思う。
賢明なみなさんは60歳から、遅くとも65歳までに年金を受給開始しましょう。

竹中平蔵も年金保険料未納で告発されているからな。
満額支給できないから、その腹いせで、国民の年金を払いたくないのだろう。

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039 2020/04/17(金) 08:37:25 ID:Q.uDU1kvVI
>>38
91.8歳以降は75歳受給開始が一番お得(>>21

だからこう↓

100歳までスキー三昧だった〈スキーヤー三浦雄一郎の父・敬三〉 氏を例に
受給開始年齢ごとの給付額をシミュレーション

【X=101歳】

支給開始年齢:60歳
(X-60)*0.7=28.7年分相当を受給

支給開始年齢:65歳
(X-65)*1.0=36年分を受給

支給開始年齢:75歳
(X-75)*1.6=41.6年分相当を受給

●60歳の受給開始では101歳までに28.7年分相当の年金しか貰えない
●75歳の受給開始では101歳までに41.6年分相当の年金を貰える


勝負あった。

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040 2020/04/17(金) 08:40:44 ID:Q.uDU1kvVI
生き方・考え方は人それぞれ
人それぞれに、それぞれ幸せになる道を否定されないのが多様性社会
人間の仕様の画一化をもって、これを必死に否定しにかかる共産党員って何なの?

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041 2020/04/17(金) 22:05:35 ID:4tKVYqNWUc
年金溶けた

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042 2020/04/17(金) 22:22:29 ID:Q.uDU1kvVI
>>41
これまでのとてつもない額の累計黒字を相殺することは不可能
それに現物なんだから持ち続けてればいずれ値を戻す

逆に、昔のように日本国債の受け皿だけやってたら
折からのマイナス金利で今頃真っ赤っ赤の大赤字で完全に原価を割り込んでいただろう

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043 2020/04/17(金) 23:27:38 ID:bQQIkguxD6
国民を損失に導くことが多様性なのかな?
100万円損するのと、200万円損するのと1000ん万円損するのと、どれを選ぶ? って感じでしょ?
名無しの湯がいう選択の自由とはw

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044 2020/04/18(土) 03:32:37 ID:NbfdMPkp1U
人間の人生の多様性を認めず一律で60歳から貰えとそそのかす西川のり子.
三浦・父にとっては(41.6−28.7=)12.9年分の年金を丸損しろとそそのかされてるようなもんだろう

100歳までスキー三昧だった〈スキーヤー三浦雄一郎の父・敬三〉 氏を例に
受給開始年齢ごとの給付額をシミュレーション

【X=101歳】

支給開始年齢:60歳
(X-60)*0.7=28.7年分相当を受給

支給開始年齢:65歳
(X-65)*1.0=36年分を受給

支給開始年齢:75歳
(X-75)*1.6=41.6年分相当を受給

●60歳の受給開始では101歳までに28.7年分相当の年金しか貰えない
●75歳の受給開始では101歳までに41.6年分相当の年金を貰える

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045 2020/04/18(土) 04:31:52 ID:E1QSolETw.
100歳までスキー三昧だった〈スキーヤー三浦雄一郎の父・敬三〉って、1億3000万人に1人だからな。
極めて特殊な事例でしか、75歳受給のシミュレーションができないんだな。
ほとんどの人は60歳から受給したほうがよいという事例だね。

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046 2020/04/18(土) 13:43:26 ID:NbfdMPkp1U
>>45
日野原 重明 105歳没

日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44年)10月4日 - 2017年(平成29年)7月18日[2])は、日本の医師、医学者。位階は従三位。学位は医学博士(京都帝国大学)。聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長。

京都帝国大学医学部副手、大日本帝国海軍軍医少尉などを経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長などを歴任した。

少年時代、母親の命をある医師が救ってくれたことから医学の道を志した[17]。

日野原は日本で最初に人間ドックを開設、早くから予防医学の重要性を説き終末期医療の普及にも尽くすなど、長年にわたって日本の医学の発展に貢献してきた功績が文化功労者と文化勲章の受章理由として挙げられた。従来は「成人病」と呼ばれていた一群の病気の名称を「生活習慣病」に改めたのも日野原である[18]。

2001年(平成13年)12月に出版した著書『生きかた上手』は120万部以上を売り上げた。聖路加国際病院名誉院長まで務めて数多くの著書で知られ、高齢者の「希望の星」的存在となっていた。レオ・ブスカーリア作の絵本「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」のミュージカル化に当たっては、日野原が企画・原案に携わった。

晩年の日野原は100歳を超えてスケジュールは2、3年先まで一杯という多忙な日々を送っていた。乗り物でのわずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4時間半、週に1度は徹夜をするという生活だったが、96歳にして徹夜を止め、睡眠を5時間に増やしたという[19]。命の続く限り現場に立ち続けるという信念をあくまで貫き、生前には「少なくとも110歳まで現役を続けることを目標にしている」と語るほどであった。

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047 2020/04/18(土) 14:13:50 ID:E1QSolETw.
>>46
日野原先生は何度かお会いしているからしっているよ。
講演のときとか、控室まではまわりを関係のかたがたの支援を受けて車いすでおいでになり、車いすの上で話しもせず静かにされていて、大丈夫なんかなと思わせるんだけど、講演の時間になり「先生お願いします」というと、急に表情がきりっとして、すっと立ち上がり、さっそうとお客さんの間を通って登壇されるのだ。
ほんの短い時間でもでもきちんと休んで英気を養っていたのだろうね。
ホントすごい人だと思ったよ。
日野原先生にはものすごい数の講演の依頼とかがあったのだけど、体力のことを考えれば、移動に車いすをつかったりしていたけど、先生のイメージを考慮して、関係者で入念にルートも検討しいた。
お客さんがいると先生も元気な姿を見せないわけにいかないから、アクターを務める負担を考慮して、会場での滞在時間を可能な限り短くするために会場にお客さんの入退場とは別ルートを用意させるなどの工夫もチームで行っていた。
先生の強い意志と日常の身体のメンテナンスが、すばらしいからだけどね。

ちなみに105歳までただ生きる可能性は0.009%。
そんな特殊な事例を出さないと75歳から受給するという想定がそもそもあり得ないのだろうね。
普通の人はこんなふうになれないから一般国民は、60歳から受給したほうがよいという事例だね。

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048 2020/04/18(土) 14:20:06 ID:NbfdMPkp1U
片岡球子 103歳没

片岡 球子(かたおか たまこ、1905年(明治38年)1月5日 - 2008年(平成20年)1月16日)は、昭和から平成時代にかけて活躍した日本画家である。日本芸術院会員[1]、文化功労者・文化勲章受章者[2]。北海道札幌市出身。

1976年(昭和51年)勲三等瑞宝章を受章。1982年(昭和57年)には日本芸術院会員に選ばれ[1]、1986年(昭和61年)には文化功労者として顕彰された。1989年(平成元年)には文化勲章を受章している[2]。女性画家の受章は上村松園、小倉遊亀についで三人目(故にこの三人を「日本三大女流画家」と称することもある)。

100歳を迎えてから脳梗塞に倒れたが、療養に努めながら現役を続けていた。2008年(平成20年)1月16日21時55分に急性心不全のため神奈川県藤沢市内の病院で死去。103歳没。叙従三位。

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049 2020/04/18(土) 14:33:00 ID:NbfdMPkp1U
小倉 遊亀 105歳没

小倉 遊亀(おぐら ゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、日本画家。本名、ゆき。旧姓、溝上。

滋賀県大津市出身。奈良女子高等師範学校卒。1926年に院展に入選し、1932年に女性として初めて日本美術院の同人となった。色彩に富む人物画や静物画が特徴で、上村松園とともに日本を代表する女性画家で、作「O夫人坐像」「小女」「浴女」[1]など。奈良女子大学の講堂の緞帳は、小倉遊亀の「爛漫」、滋賀県立大津高等学校の体育館の緞帳は「うす霜」という原画によるものであった。

https://note.com/hisatune/n/n95cca58cd2d...

その小倉遊亀は、83歳で文化功労者となり、85歳で文化勲章を受章する。そして95歳から101歳までの6年間を日本美術院理事長をつとめ、なんと104歳では個展をパリで開催している。

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