実は、もっと論理的に整合性のある階級論がマルクス以前に存在した。マルクスの階級論が有名なため、階級論そのものがマルクスによって考案されたと誤解されがちだが、それは違う。むしろマルクスは以前の階級論を参考に、自説を組み立てたのである。
その階級論が生まれたのは、1810年代のフランス。ナポレオンの失脚後、ブルボン朝が一時復権した復古王政の時代だ。自由主義派と呼ばれる知識人によって理論が構築された。中心となったのは法律家シャルル・コント、経済学者シャルル・ディノワイエ、歴史家オーギュスタン・ティエリの3人である。
自由主義派の階級論によれば、社会で人間が自分の欲求を満たす方法は2つある。自分で働いて富を生産するか、他人が生産した富を奪うかである。あらゆる社会において、人は生産によって生きる者と、略奪によって生きる者とに区別される。この2つの集団の利害は対立する。マルクスの言葉をもじって言えば、「これまでのすべての社会の歴史は、略奪階級と生産階級の闘争の歴史である」ということになる。
自由主義派によれば、古代ギリシャやローマでは、戦争を通じた兵士の略奪行為が好まれた。中世には武人出身の貴族が台頭し、農民を搾取した。近代になると、露骨な略奪が難しくなったため、別の巧妙な方法が使われるようになる。税金という名の貢ぎ物である。
つまり近代国家の国民は、税金によって生きる支配階級と、税金を取られる被支配階級の2つの集団に分かれる。前者は最近の言葉で言い換えれば、上級国民ということになる。暴走事故を起こした飯塚元院長は税金を収入源としてきた元官僚だから、上級国民と呼ぶのは間違っていない。
自由主義派の階級論は、マルクスと違い、きわめて明瞭で現実に即した階級の区別といえる。日本共産党はマルクスを信奉する社会主義政党だから、中小の自営業者は従業員を搾取するブルジョワジーとして攻撃しなければならないはずなのに、実際の政策では「日本経済の根幹」と持ち上げ、支援策を打ち出したりしている。マルクスの誤った階級論がもたらしたひずみだ。
政治家は、保守か革新かを問わず、自由主義派の階級論を正しいと認めることは難しいだろう。官僚と並び、税金で生きる上級国民の代表格だからだ。政府の顔色をうかがうメディアや知識人も触れたくない事実に違いない。上級国民の話題を茶化し、突っ込んだ議論を避けるのもうなずける。
しかし税金を取られ、搾取される側の一般国民にとって、上級国民の存在に気づいたことは社会を変える第一歩になる。
自由主義派の一人、ティエリは「課税はつねに悪である」という言葉を残した。消費税率の引き上げを控え、社会保険料という名の税負担にも苦しむ一般国民にとって、希望の言葉に聞こえるはずだ。
以下略
https://biz-journal.jp/2019/09/post_118077_2.htm...
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