ゆとり教育とか競争しない教育なんてことを言い出したあたりからだめになっていると思う。 
 学歴と収入が相関しないから、どちらかが間違っているんだけど、教育も経済もお互いに非を認めない。 
 経済活動に必要な人材を育成することができない教育制度と、教育が優秀と判定した人材を有効に活かしきれない経済。 
 経済が、競争はやめてみんな仲良くゆとりで行きましょうと提言したのなら、大成功な結果だが、 
 経済はかならず右肩上がりを目標にしているからそんな人材は必要としていない。   
 流行にそって黙って馬鹿のように稼いだカネを我慢もしないで、何も考えずに使う人間を育てたのが現状。   
 結局、経済が必要とする人材は外国の教育を受けてきた合理的で創造性の高いヒトたちで、 
 日本の旧態依然とした教育を優秀な成績で終了したヒト達は奴隷のような仕事をすることになる。   
 シンガポールのように母国語を捨てて、優秀な人材は海外に流出させるような教育を行うような大変革でもやらない限り再浮上はないよ。 
 日本史のように日本の歴史を飛鳥時代から勉強することも文化を交えた会話には必要だろうが、シンガポールの国の歴史なんて、 
 その辺をあるいているシンガポールに住んでいるジイさんに聞いた方が現実的な内容がわかるぐらい短い。   
 経済が必要とする人材を教育が提供できるのなら、偏差値が高く、難関大を卒業した人間だけが成功するような社会構造になる。 
 逆に、共通の競技場で戦って、順位がついた時点で経済的な見通しがはっきりする。 
 優秀な官僚を選別するためだけの教育制度を続けていると、国家公務員と医者が飯を食える社会になる。
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