「自動車業界のシンデレラ」…。逆境からのサクセスストーリー
「トヨタが認めた町工場」
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001 2021/03/09(火) 21:50:24 ID:tUM.i9p3ag
「トヨタが認めた町工場」、「自動車業界のシンデレラ」。国本工業をこう呼ぶ人は少なくない。当時、従業員数50人にも満たない企業がトヨタ自動車といかにして直接取引するようになったのか。国本工業のサクセスストーリーは逆境こそ最大のチャンスであることを教えてくれる。
◆複雑形状をプレスだけで
2006年、国本工業は過去に全くつきあいがなかったトヨタに部品を供給することになった。供給するのはV型8気筒のエンジン部品。搭載車種は「レクサスLS600h」。レクサスの最高級車である。
きっかけは、1年前にトヨタが開いた技術商談会への出展だ。担当者の目にとまり、声をかけられた。
トヨタの担当者を惹きつけたのは国本工業のパイプをプレスで曲げる技術。パイプの端をつかんで曲げて角度をつけるベンダー曲げに比べ、プレス曲げは金型を使って一気に成型するので、つかみしろが不要になる。曲げと曲げの間に直線がない「連続曲げ」やパイプを鋭角に曲げる「極小曲げ」も実現する。材料のムダを減らせ、部品も軽量化でき、作業時間も減らせる。当然、コストは下がる。
国本工業の部品を採用したことで、トヨタの調達原価を大きく低減できたという。2007年にはトヨタと直接取引が始まり、その他の車種でも本格的に採用が始まるが、当時の国本工業の従業員数は50人にも満たなかった。
国本賢治社長は「当社は『運』が良かったのかもしれない」と振り返る。というのも、世界的な自動車メーカーを唸らせたこの技術を国本工業は狙って生み出したわけではない。苦境に追い込まれた故の産物だったからだ。
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002 2021/03/09(火) 21:52:46 ID:tUM.i9p3ag
◆排気系のプレス加工の受注が転機に
国本工業は1945年に織物製造で創業し、1950年代にはプレスも始める。オートバイブームの波に乗り、大手二輪車メーカーのマフラーやタンクのプレス加工にも携わる。このメーカーのバイクスタンドの9割を供給していた時期もあった。
経営が暗転するのは20世紀末。取引先の二輪車メーカーの国内生産の縮小に伴い、仕事が激減。60人ほどいた従業員は半分以下になった。「続けるより、会社を畳んだ方がいいのでは」。賢治社長の父である国本幸孝会長(当時社長)の脳裏にこうした思いがよぎるほど会社は危機的な状況に陥った。
退路を断たれた、幸孝会長が必死に自社技術を売り込んでいると、地元の自動車部品メーカーから排気系のプレス加工の仕事が舞い込む。自動車部品を手がけるのは初めてだった。
試作だけなら外注に出す選択肢もあるが、量産も視野に入れれば自社でどうにかしなければいけない。だが、加工に必要なベンダーはない。ベンダーを買うお金もない。資金も設備もないなか、試行錯誤を重ねる日々。工場にあったプレスで試作を繰り返し製品を作り上げた。国本社長は「二輪の仕事がなくなり、設備もなく、設備も新しく買えなかった。条件が限られたから生まれた技術」と当時を振り返る。
この技術が原価低減活動を進めていたトヨタから高い評価を受けたのは前述の通りである。その後、エンジン部品のみならずモータ部品やコンバーター部品と順調に受注を拡大していくわけだから、業界のシンデレラと呼ばれるのも決して大げさではないだろう。
以下ソース
https://newswitch.jp/p/2622...
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003 2021/03/10(水) 06:07:53 ID:lppcXLM0Wg
発注するたびに納入価格引き下げを求めてくるのがトヨタ
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