新型コロナウイルス対策として国が支給する1人10万円の特別定額給付金を巡って、一部で「生活保護バッシング」が起きている。
10万円支給について意見を求めた西日本新聞アプリの読者投稿コーナーにも「働かざる者、10万円もらうべからず」という趣旨の
コメントが相次いだ。バッシングの根っこに何があるのか、生活困窮者を支援するNPO法人「ほっとプラス」(さいたま市)の
藤田孝典理事と考え、反論したいと思う。
「一番大きいのは妬み、そねみ。自分は頑張って働いているのに、何で『怠けている人』に生活保護や10万円まで与えるんだという
思いがある」。藤田さんはこう説明する。
生活保護の受給資格がある人のうち、実際に受給している人の割合(捕捉率)は推計2割程度とされる。受給せず「頑張っている」
人や、努力して貧困から抜け出した人には、受給者は「怠けている」と映るのかもしれない。だが藤田さんは「頑張れない社会構造」の
存在もあると指摘する。
厚生労働省のデータによると、今や労働者全体の約38%を占める非正規雇用。長時間働いても、正社員との賃金格差は大きい。
蓄える余裕がないから、さまざまな資格を得ようと勉強し直して正社員を目指すことも難しい。病気やけがをすれば正社員のような
企業からのサポートは受けられず、生活保護が必要な状況に追い込まれやすいのだ。
さらに、困窮する家庭の子どもは教育投資が受けられないなど、「頑張れば報われる」という自尊感情が育ちにくい環境にある。
「前向きにチャレンジできなくさせられる、それが貧困なんです」と藤田さんは訴える。
こうした社会構造を無視した生活保護バッシングは、昔からあった。一段と強まったきっかけは、2012年の衆院選で自民党が
掲げた公約「生活保護費の大幅削減」だったと藤田さんはみる。「バッシングを政治が利用し、自己責任論に導いた」
ところが現在、バッシングと同時に「反バッシング」も起きているという。新型コロナウイルス禍で「雇用の調整弁」である
非正規労働者が次々に収入を絶たれ、生活保護の必要性を実感する人が急増したからだ。「なんで働かない人を助けるんだ」と一部から
批判もあった藤田さんたちの困窮者支援活動にも、一転してエールが寄せられている。
生活保護は、国が国民に最低限度の暮らしを保障する、最後のセーフティーネット。憲法の生存権を持ち出すまでもなく、当たり前の
権利だ。なのに世論は、バッシングと反バッシングの間を感情的に行き来してしまう。その根っこにあるものとして、藤田さんは
「労働倫理の異常な高さ」を挙げる。
「24時間戦えますか」と頑張って高度経済成長を果たした日本では今なお、定時に退社したり、余暇を楽しんだり、仕事を辞めて
次の職をゆっくり探したりする「余裕」が許容されにくい。「人は何のために働くのか、根本的に問い直す必要がある」と藤田さん。
人は働くために生きるのではない。ずっと頑張り続けなければならない社会なんて息苦しすぎる。「困ったときは国を頼っていいんだよ」。
そう言い合える社会でありたい。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/617218...
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